光と音と旅人と

ヒーリングサイト「Be Eruca」主宰。本サイトはこちら→https://clay901.wixsite.com/beeruca こちらは幾多の変遷を得た901のプライベートブログです。

2016年01月

香川 源平合戦史跡巡り その⑦ 平家総門

香川県の源平史跡巡り記録も、そろそろ終盤になってきました。
続きましては、平家が陣を張り、海からの防御にも備えたと言われる「総門」です。
 
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総門

寿永2年9月、平氏は安徳天皇を奉じて六万寺を行在所として(屋島壇ノ浦の行宮が出来るまで)ここで門を構えて、海辺の防御に備えました。総門はこの遺跡です。

後、壇ノ浦に行宮をうつしてからも、この門を南部の重鎮として大いに源氏軍を防ごうとしましたが、ついに源氏の占領するところとなりました。当時この付近は海辺でした。
標木は高松藩主松平頼重の建てたもの、碑は野津大将題、黒木…以下略 

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碑を作られた方の字が難しくて書けませんでした
ごめんなさい。

現地写真は…こんな木の門が、ぽつんとありました。
とはいっても、上に書いてあるように、こちらは江戸時代の高松藩主・松平頼重が建てたものだそうです。

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その頼重氏が建てたものもすっかり朽ちて、後ろには民家があります。
合戦当時、この辺りは海だったそうですが…
なんだか、強者どもが夢の後、という感じですね。

今、ここに平家の人がいたなら、どんな気持ちで眺めるのでしょうか。

正に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
   娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す」と言いたくなりました。

この戦いで勝った義経も、その後追われる事になりますし。
頼朝も鎌倉幕府を開いてから、そんなに時間が経たずに亡くなっています。
一説では、北条氏の手にかけられた、なんて説もあったりしますよね。

戦う者は、やはり戦いによって死すのでしょうか。

そして室町、戦国、江戸時代…時は巡ります。

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高松市のページを見ると、実際の総門はここから南東にある「木戸」という地域だったのではないか、という説もあると書かれていました。

どちらにせよ、牟礼町と呼ばれる辺りですね。
私は牟礼町に高校があったので、当時うろうろしていた近辺だと思います。

さて次回はいよいよラスト!
この史跡巡りで一番、思い入れのあった「六万寺」になります 

香川 源平合戦史跡巡り その⑥ 洲崎寺

ちょっと間が空きました。
続きましては「州崎寺」です。
ここもまた、「むれ源平石あかりロード」の中にあります。

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州崎寺

州崎寺は眺海山円通院と号し、大同年間(806〜)に弘法大師により創建されました。
本尊である「聖観世音菩薩」は大師の作と伝えられています。

源平合戦・長曽我部氏の侵攻により焼かれるなど、繁栄と衰退を繰り返し、元禄12年(1699)に再興され、現在に至っています。

源平合戦時、義経の身代わりとなり討死した佐藤継信の亡がらを、戦火によって焼け落ちた本堂の扉に乗せて、源氏の本陣・瓜生が丘まで運ばれたと伝えられており、継信の菩提寺として、毎年3月19日に慰霊法要が行われています。

平成12年に再興300年を記念して完成した庭園は、苔と石で「屋島壇ノ浦の戦い」を表現し、境内壁面に「扇の的」「弓流し」等の合戦のあらましを刻んだ説明板があります。

また、江戸時代 四国八十八ヶ所霊場を庶民に広め、「四国遍路の父」と伝えられている『真念』の墓があります。

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歴史の古いお寺ですね。
源平合戦の時には、佐藤継信や他の負傷した兵士達も運ばれてきたお寺であったそうです。

ちなみに佐藤継信の名前、本やらの表記は「佐藤継信」でしたが、お墓では「次信」となっていました。
どちらが正しいのでしょうね?

ちなみにこのお寺は、四国八十八ヶ所のうちの1つではありません。
なのに、八十八カ所を広めた方のお墓があるのも、不思議な感じですね

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ここからは、母親が夏に送ってきた写真を…

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緑が青々としていますね。

そしてこの下2つの写真は、説明書きの最後のほうに書いてあった、庵治石の説明板です。

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こういったふうに、新しいものと古いものが混在しているお寺でした。
 
あと2つ、下書き記事があります。
もう少し、おつきあいくださいませ 

香川県の神社 その② 久通浜塩釜神社

ず〜っと史跡の話を書いてきましたが、ここで閑話休題。
駒立岩の近くにあった神社をご紹介します。

菊王丸の墓、安徳天皇社と、悲しみの強いエネルギーが続き(安徳天皇社も記事には書きませんでしたが ちょっと辛かったです。多分ですが、自分のために大勢の人が亡くなって悲しい…みたいな感じだったように思います)
少し、いや、だいぶ「ゔ〜〜〜」という感じになっていた所に、ひょっこり現れたお社です。

最初は何の神社か分からなかったですが、雰囲気が良かったので、駆け込み寺のようにして参拝しました。(笑)

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小さなお社です。
悲しみのエネルギーを浄化してくださるように、祈りました。

そして、ここはなんと言う神社?と、探してみた所、草に隠れてこんな碑が。 

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 「久通浜塩釜神社」でした

こちらもお正月を迎えるにあたって、綺麗にされていましたよ。
塩の神様ですから、浄化力が高いですね。

鵜羽神社の所でも書きましたが、香川県は塩田が沢山あったので、その名残でしょうね。
ご祭神は不明ですが、塩そのものを神様とされていたのではないかな〜と推測してみます。

 ここで少し浄化していただいた後、またまた源平史跡に戻ります!

香川 源平合戦史跡巡り その⑤ 駒立岩、扇の的

安徳天皇社を後にし、今度は那須与一で有名な「駒立岩」へ。
むれ源平石あかりロードという所の中にあります。

香川県は庵治石が有名でして、このあたりも庵治石が取れるのですね。
その庵治石で作られた、いろんなオブジェや作品が置いてある通りになります。

さて皆さんは、那須与一の「扇の的」の話はご存知でしょうか?

私は子供の頃から何度も聞かされて育っています。
少し書いてみますね。

屋島の戦いの際、水軍として強かった平家は、水上戦に慣れていない、陸側にいた源氏の侍達をからかって、一艘の船を出してきます。
その船の上には扇が立てられており、そこで女性が舞っていました。
ちなみにこの時の扇は、赤字に白い丸が描かれていたそうです。
何でも、日の丸の由来はこの頃からだとか?昨日見たテレビで言ってました。笑

義経は、これが平家の挑発であると分かります。
「この扇を射落としてみよ」と…

そこで義経は、部下であった那須与一を指名します。
那須与一としたら、いきなりの大舞台。
ここで外すわけにはいきませんから、源氏の守護神とされる八幡の神へ、一心に祈りを捧げた後、弓を引きます。

「南無八幡大菩薩…」という祈りのくだりは、けっこう有名です

で、これが射落としちゃうのですね〜
もう、この頃の風向きは源氏だったのでしょうね。

平家物語の後半のシーンを読む度に「この時こうだったら…」という所が沢山ありますが、それも含めての大きな流れだったのかなあと思います。

というわけで、その那須与一にまつわる史跡、駒立岩です。

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駒立岩

源平合戦の時、那須与一が祈り岩で神明に祈願を終え、海の中のこの岩まで駒を進め足場を定めて、波に揺れ動く船の扇の的を見事に射落としたので、駒立岩といわれています。

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駒立岩は、こんな民家の側にあります。

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ここら辺りは昔は海だったのでしょうけれど、今は埋め立てられてしまって、あんまりピンとこない感じですね
民家の布団を撮影してしまっています。。

そして扇の的は…

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実際は与一から扇の的までは7,80mくらいあったとか?言われていますが どうなのでしょうね? 
昔の話ですから誇張されている可能性も大きいですが、それにしても、こんな近くないだろう〜とツッコミました(笑) 

まぁまぁ、観光スポットという事で…
まだまだ続きます! 

香川 源平合戦史跡巡り その④ 安徳天皇社

次は、安徳天皇社です。

安徳天皇って皆さんご存知ですか?
名前は知っていても、どんな方なのか以外に知らない方もいるのかな〜とも思います。

安徳天皇は、平家が政権を取っていた時代に、幼くして天皇になられた皇子です。
天皇になってからすぐに清盛が亡くなったので、あっという間に皇子から逆賊へ…悲運です。
そう考えると、清盛ってやっぱりすごいなと。

最終的には壇ノ浦の戦いで海に沈んだと言われていますが、年端は6歳とかでなかったかなと思います。

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ここも書き写したいのですが、光っていて見えません

仕方がないので、こちらのページよりちょっと説明を拝借。

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安徳天皇社は、平家が屋島に陣を構えている間、安徳天皇の仮の皇居として造営した行宮跡。
幼い天皇が追われてゆく姿は、多くの人の涙を誘います。

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屋島に居る間、安徳天皇が住まわれていたと言われる所です。

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天皇であったので、浩宮様や大正時代の天皇も、こちらに来ていただけているようです。
1年くらい前に、山口県の赤間神宮(同じく安徳天皇がお祀りされています)には、あの佳子様もご訪問されていましたよね。

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ここで少し、不思議な出会いがありました。
私と母が訪れると、老夫婦がにこやかに挨拶をしてくださったので、母が「佐藤次信のお墓の元の場所」を伺った所、男性の方が丁寧に教えてくれました。

その後に一緒にいた女性の方が、「ここを管理している大場と申します。普段はもっと早い時間に掃除をすませるのですが、今日はこんな時間になってしまいました」と、これまた丁寧に挨拶をしてくれたのです。

大場さん…そういえば、安徳天皇社内に「大場光親」さんの碑があったのを、後から思い出しました。

ネットでググってみたのですが、詳しい情報が得られず、訪れたとブログを書いている方々も「詳細は不明」と皆書かれていました。
ただ、その中で1人、源氏の武将だった「大庭(おおば)景観」の親戚だろうか?と言っている方がいまして、そういえば私もその方の名前が頭の片隅にあったのを思い出しました。
名前も似てますよね

もしそうなら、源氏の血筋の方が平家の方を弔っている、という事になりますね。
まぁ憶測ですが、次にまたお会いできる機会があれば、伺ってみたいです。


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こちらは、安徳天皇社から見える、屋島の「五剣山」です。
屋島近辺の山は、どの山もあんまり高くありません。

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 快晴です
まだまだ続きます〜。 
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