源平史跡巡り②の続きです。
菊王丸の墓より車で少し走った所に、義経の家来である佐藤次信と、義経の乗っていた馬「太夫黒(たゆうぐろ)」のお墓があります。
佐藤次信は、菊王丸の所でも書きましたが、平家の武将「能登守教経」が義経をめがけて放った矢を、継信が義経の代わりに受けて、犠牲になりました。
太夫黒は、元は義経が後白河法皇から賜った馬です。
平家が大打撃を受けた一の谷の合戦の際に、あの有名な「鵯越の逆落とし」をやってのけた馬だそうです。
義経は次信が亡くなったのを悲しみ、かわいがっていた太夫黒をお寺に与えました。
譲られたお寺は志度寺という事で、四国八十八ヶ所の1つです。
そして太夫黒は、お寺に譲られた後、ある日突然姿を消しました。
数日経って、佐藤次信のお墓のそばで亡くなっているのが発見されたとか。。
上に書いたお話は、こちらのページにも記載されていました
まぁなんとも、悲しい話だらけですね
実はここは、元のお墓ではありません。
お墓の場所は移転されたそうです。
元の場所は、次に書く予定の「安徳天皇社」で その場に居た方に伺ったのですが、車で走っていたので、結局見つける事は出来ませんでした。
というわけで、移転後の場所のせいか、ここは特に重い感じはなかったです。
暖かかったですし、お天気にも恵まれた1日でした。
次は、ちょっと不思議な出会いがありました「安徳天皇社」を書く予定です☆
菊王丸の墓より車で少し走った所に、義経の家来である佐藤次信と、義経の乗っていた馬「太夫黒(たゆうぐろ)」のお墓があります。
佐藤次信は、菊王丸の所でも書きましたが、平家の武将「能登守教経」が義経をめがけて放った矢を、継信が義経の代わりに受けて、犠牲になりました。
太夫黒は、元は義経が後白河法皇から賜った馬です。
平家が大打撃を受けた一の谷の合戦の際に、あの有名な「鵯越の逆落とし」をやってのけた馬だそうです。
義経は次信が亡くなったのを悲しみ、かわいがっていた太夫黒をお寺に与えました。
譲られたお寺は志度寺という事で、四国八十八ヶ所の1つです。
そして太夫黒は、お寺に譲られた後、ある日突然姿を消しました。
数日経って、佐藤次信のお墓のそばで亡くなっているのが発見されたとか。。
上に書いたお話は、こちらのページにも記載されていました
まぁなんとも、悲しい話だらけですね
実はここは、元のお墓ではありません。
お墓の場所は移転されたそうです。
元の場所は、次に書く予定の「安徳天皇社」で その場に居た方に伺ったのですが、車で走っていたので、結局見つける事は出来ませんでした。
というわけで、移転後の場所のせいか、ここは特に重い感じはなかったです。
暖かかったですし、お天気にも恵まれた1日でした。
次は、ちょっと不思議な出会いがありました「安徳天皇社」を書く予定です☆
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